むすび

紆余曲折を経て、途中何回も絶望がと思われながらも、最終的に「海の日」が成立したのは、一千万人を超える署名、すべての都道府県を含む七割の全国地方自治体の意見書の採択、経済界、労働界を含む中央・地方の運動のまとまり、それに利害を離れた熱心な関係者の息長い努力、これらの総合的な力によるものと考えられる。
「海の日」運動では、海事振興連盟所属議員ばかりでなく、各党の関係部会や役員、また国会の関係委員会の委員や役員、国会対策関係者など実に多くの国会議員がいち早く「海の日」の意義に理解を示した。理解をを示すばかりでなく、熱心に関係方面に働きかけて促進させてくれた議員の数も少なくない。多数の国民の声を取り上げて「海の日」を制定してくれた国会議員に深く感謝するとともに、敬意を表したい。併せて、お世話になった議員秘書や国会事務局、とりわけ(衆)委員部第二課および(衆)内閣調査室の方々にお礼を申し上げる。

 

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最初の「海の日協会」の動きから三十数年の歳月をかけて制定された国民の祝日「海の日」の一回目は、目前に迫っている。祝日法改正を目的とした国民の祝日「海の日」制定推進国民会議は、平成七年六月二十九日をもって解散したが、直ちに「国民の祝日『海の日』を祝う実行委員会」が組織され、目前に迫った第一回「海の日」を有意義なものとすべく、さまざまな企画を進めている。
実行委員会会員である日本海難防止協会においても、「海の日」記念シンポジウムを開催するほか、海洋汚染防止のため、平成五年度に実施したオスパー計画(アセアン六カ国との共同による東南アジア海域における油汚染防除体制整備)に引き続くシンガポール連絡事務所の開設や北西太平洋海洋汚染防除新潟国際会議の開催などを行うとのことである。諸事業が所期の目的どおり成果を上げることを望むものである。
また、被災地神戸でも、七月二十日が祝日「海の日」になったのを機会に、新しい「神戸まつり」を企画し、京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに「関西の三大まつり」として宣伝中とのことである。
あの大変な情況の中で、なお祝日「海の日」を支援してくれた神戸にとって、神戸のお陰でできたともいえる「海の日」が何らかの形で役に立つのであれば、嬉しいことである。あれだけの大災害の傷跡は、簡単に癒せるものではないであろうが、神戸港が以前のように活気に漏れ、神戸の町がかつてのように異国情緒豊かな文化的香りの高いお酒落な街として賑ってほしいと、多くの神戸ファンの中の一人として願わずにはいられない。
「海の日」の目的は、この日一日を皆で休めば達せられるというものではない。祝日を一つの機会として、一人一人が海に対する認識を深め、海の恩恵に感謝し、海を大切にしていくことが目的なのである。
例えば、「海の日」に各地で海浜美化運動が行われ、海員組合や海洋少年団、漁業協同組合の協力の下に、学童生徒や父兄たちが参加して空ビン、空カン、ビニールシート、釣り糸、がらくたなどを一掃し、そのあと招待された客船や巡視船に乗って、海事産業の役割や海とのかかわりについての映画を見たり、話を聞いたりして一日を終えれば、それはすばらしい「海の日」となることであろう。
各種団体、各個人のさまざまな活動や思索を通して、長年にわたる多数の人の願いとエネルギーによって制定された祝日「海の日」が本来の意義のとおり生きたものになるよう望んでいる。
(現在、日本道路公団理事)

 

 

 

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